歌謡曲が好き!
2020/09/07
日曜日にクルマを運転しながら、だいたいはデーゲームのファイターズ戦中継なんかを聞いて、それが終わると始まるというのが最近の「ベストテンほっかいどう」のイメージであります。北海道で最初に開局した民放ラジオ局である北海道放送(HBC)の長寿番組であり、多分唯一の楽曲ランキング発表番組と思われるベストテンほっかいどう。
その放送開始は1971年に遡ります。今から49年も前の話。まだテレビのランキング番組である「ザ・ベストテン」も始まっていませんでしたし、オリコンチャートは1968年に開始されたはずですので、それからそれほど経たずに開始されたことになります。番組冒頭で「伝統ある」と自分で言ってた頃はいつだったでしょうか?
私がラジオを聞き始めたのは1982年ころ。小学校4,5年生くらいのころと思い出します。学校から帰ってきて、居間に置いてあった親が使っていたポケットラジオを悪戯したらちょうど夕方4時からの「徳志郎のベストテンほっかいどう」の時間だったのでしょう。
それまで、夜9時には就寝しなければならない我が家のルール的に「ザ・ベストテン」は見ることができず、「トップテン」を見られれば御の字。まさかラジオでは毎日ランキングが発表されているなんて夢にも思っていなかったのです。
私は田中徳志郎アナウンサーの軽妙なしゃべりと、当時人気だった松田聖子さん、中森明菜さんをはじめとするヒット曲の数々に楽しくなって学校から帰ったら毎日聞くようになります。急に外遊びしなくなった私に友人達が不思議がる中「ベストテンほっかいどう」って素敵な番組があると触れまくっていました。
田中徳志郎アナウンサーは「ザ・ベストテン」の追っかけマンとしても登場。声の印象と実物の印象が随分違うのを不思議な感じで思いました。小学校5年生にあがったとき、やっと我が家では赤いダブルデッキの「ラジカセ」を買ってもらえまして、ラジオを録音すればいつでも楽しめることを知ります。そしてその頃から「深夜放送」にのめり込んでいきます。
中学生になると、部活もありますのでこの夕方のベストテンほっかいどうを聞くことは少なくなりまして、午後7時からのFM北海道「FM電リクテレホンジャック7」を聞くようになり、この番組の金曜日がランキング発表、そしてレコードを買ってもらえない我が家では貴重な楽曲録音手段としての地位を確立します。この3年間、多分徳志郎氏は体調不良で降板し、鎌田強アナウンサーだったと思いますが、休みの日とかに数回聞いたくらいしかありません。
高校生の頃、私の通う路線バスは車内でラジオを流すことがあり、部活のない帰宅時間にベストテンほっかいどうを聞くことがあったくらい。そう思うと私とベストテンほっかいどうの歴史はそんなに長くはありません。1988年から夜に時間帯をずらしてからの聴取はほとんどなく、逆に今の方がクルマで聞くことが多かった番組でもあります。
小麦色のマーメイド
松田 聖子
1982/12/5
カテゴリ: 歌謡曲が好き ベストテンほっかいどう ラジオが好き
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