歌謡曲が好き!

さようなら!すすきの歌謡曲バーザ☆ベストテン

2020/05/30
北海道は緊急事態宣言こそ解除になりまして、市内の店舗も営業再開となっている場所が増えてきまして、だんだん日常を取り戻している昨今であります。6月1日からはバーなどに出されている休業要請も解除となります。これまで、数か月にわたって営業を自粛され、ほとんど売り上げのない状況で耐えてきた形ではありますが、当然、耐えることが難しく、閉店してしまう店も少なくはありません。

私が、そこそこの頻度でお邪魔していたすすきのの昭和歌謡曲バー「ザ☆ベストテン」さん。配信をご覧の方には伝わったかと思いますが、6月26日まで少し閉店を伸ばすことになりまして、それはとても感謝であります。しかし、閉店の話が撤回されたわけではありませんので、もういくばくもなく、私の愛したこのお店はなくなってしまうのです。
さようなら!すすきの歌謡曲バーザ☆ベストテン


まず最初に謝らなければならないのは、配信の最後であります。「師匠の重大発表」がまったく重大じゃなく、しかも勝手に逆切れして配信終了。これは、前回配信後の反省会でママさんとありす隊長と考えた演出でございますが、まぁ、当然みなさんが、私が自分が愛した店を何とか引き継いでいこうと考えただろうと、それを期待する声があったことも、当然理解した上で、私には、それをするだけの精神論的根性も財政的なものもなにもなかった。私ができることなど何もなかった。それが重大発表の真の内容です。


本当に大好きだった店「ザ☆ベストテン」

私がこちらのお店を訪問したのは2018年の8月の終わりだったかと思います。それ以前から気になっていた店であって、一度行かなきゃとは思っていたんですが、なかなか勇気が出ず(これはすすきののお店に新規で行くってのは結構ハードル高いんですよ。紹介があっていくならともかくね)同僚氏を誘ってお伺いしたわけです。

さようなら!すすきの歌謡曲バーザ☆ベストテン
さようなら!すすきの歌謡曲バーザ☆ベストテン

「やべぇ店だわ!」これが私の最初の感想です。もちろんこの「やべぇ」はダメな意味ではなく、自分にとって「見つけてしまった」という意味です。壁一面に貼られたポスターやレコード、そしてカラオケはなく、2面ある大型の画面に再生される懐かしの歌番組の画像(私はいままでこの店の特徴であるこの過去の歌番組の画像の件はボカシて書いていたのは、その形態で営業するのは本来行ってはいけないことだからです)を見ながらお酒が飲める。しかも安い。

最初に思ったのは「儲かってないよなぁこの店」です。仕事柄どうしても金銭計算が頭を離れませんで、店の規模と立地から家賃を、そして店の席数と回転から1日の営業単価を考えてしまいます。どう考えてもママさん一人で営業するにしてもほぼ「儲かる」状態にはならないだろうなというのが最初の印象です。最初に行った日も木曜日だったこともあったかと思いますが、お客さんは少なく、もちろん非常に楽しめましたが、こういう形態の店を残していくのは難しいだろうなとも最初の訪問で思ったわけです。

次の日に、私は一人でお店に行くことになります。家ではほぼ全く飲まない、会社などの飲み会も基本一次会で帰る私が連日飲みに行くなんて本当に珍しいことです。やはり金曜日ですが、お客さんは少なく、でも「ああ、この場所好きだな」は再確認できたというのもあります。逆にママさんもヤバイ客来たと思ったかもしれませんね。「歌謡曲バー」の客層は基本的に「おっさん」そこに美人で本当に不思議なタイプのママさんがおられる店。もちろん「ママさん」を目当てのお客さんも少なくないでしょう。でも、それ以上に私は店の雰囲気に魅了されました。恐ろしく居心地がいいのです。特別なお酒や特別なおつまみが出るわけでもありません。でも、ここは、下手をすると自分の家よりも落ち着く空間かもしれません。今も店でお会いすればよくお話しする常連氏、最初にお見かけしたときは、カウンターの片隅でウトウト寝始めました。えっ?寝てる?バーで?ママさんに聞けば「いつもこんな感じでちゃんと閉店までには起きるんで」どんな店だ?と改めて驚いた次第。どれだけ居心地がいいんだろう?そして、こんな「普通じゃない」店にすごく魅力を感じたのが大きいのだと思います。
さようなら!すすきの歌謡曲バーザ☆ベストテン

毎週とまでは言いませんが、それなりの頻度でお店に通ったのは、もちろん、いろいろな過去映像で楽しむというのもありましたが、基本的にはこの居心地の良さ、無理にお酒を勧められるでもなく、今日お客さんいないので来てくださいと営業かけられるでもなく、自分の飲むスタイルを尊重してくれ、話を聞くのがとても上手なママさんの人徳そのものでありましょう。

数か月もすれば、歌謡曲マニア的に勝手にザ・ベストテンの過去ランキングをファイルにしてお店に置かせてもらって、なんか、常連面している私もいて、本心から、ここはなくしてほしくないと思うわけです。ママさんからは何度も店をやめる話は出ていたんです。それをいや、今やめないでと言い続ける私がいたわけです。

最大の危機

ママさんからお店を閉めたい話は何度も聞いていて、その最大の危機はコロナ前、今年2月の入院、手術のときになりましょう。前年も約1か月手術でお休みされていたママさん。そのときは夏季ということもあって、復帰されたわけですが、今回は2月の足の手術というのもあって、冬の札幌、手術明けに滑る雪道を通勤することが難しい。だから、その前に店を閉める話をされていたわけです。

私はそれはもう仕方がないことだと覚悟をしていたけど、常連氏はそうは思わなかった。常連がボランティアで店を開ければいいという話を言い出したのを私は驚きを持って聞くことになります。一人営業のカウンターの中はママさんの「仕事場」私だって自分の仕事場を侵されるのは耐えがたい苦痛です。ママさんが同意することはないだろうと思っていたわけですが、まぁ、結局、私がメインで常連さんたち代わりで店を開けることに相成ったわけです。2月の延べ13日にわたっての「助っ人」営業。今だから言いますが、本当に胃が痛い思いをしています。本当に緊張感と店やお客様への「まちがい」がないようにと、それなりに気を張っていたわけです。
さようなら!すすきの歌謡曲バーザ☆ベストテン

あとから、何故あのときに、店のカギまで預けて私を信用してくれたのかを聞きました。ママさんは私の本名も、どこに住んでいるかも知らないはずです。そんな相手をなぜ信用できたのか。「店への想い」の話をしてくれたんですね。「店そのものを愛してくれている人だから」というのは私にとってとてもうれしい言葉でした。私は「ママさんがカウンターにいる店」が好きなわけです。自分に課せられたのは「ママさんが復帰するまで店を維持すること」だった。私は自分の店が欲しいのではなくて、ママさんがいる店に戻すために店を開けたのであります。

2月末にママさんが復帰し、そしてすでに当時はクルーズ船での対応が騒がれていたコロナ騒ぎ。営業してもお客さんは来ない来れない。そして営業自粛要請と緊急事態宣言です。お店の売上額が「正確に」わかってしまった私にとって、もはやお店を閉める話を聞くのはあまりにも予想通りで必然の話になります。

「師匠の重大発表」多くの常連氏は、私が店を引き継いでいくのではないかと予想されていたと思います。私にその気持ちがなかったかといえばウソになりますし、私自身は今この店がなくなることは本当につらく、寂しいことであります。しかし、やはり、お店は「人」なんだと思うのです。カウンターに立つ人が変わると、それは違う店。雰囲気も、店のシステムも、なにもかも今までと同じにはできません。ママさんの思う店と私の思う店は近いとはいえ多分相当な乖離があるはずですし、常連が思うお店と私の理想の店は乖離します。そこで私が引き継いでも、今のままのお店にはならない。今まで通りのお客様はお迎えできない。それならば、ここで終わりになってしまうのも、仕方ないことなのではないかな。私はそう思ってます。

そして、いろいろ偉そうに書いていますが、結局私は自分からお店を存続させるために動くことができなかった。何もできなかった。それがすべてです。

もう少しだけ、未練を言わせて

以前、喫茶店をやりたい夢があった時期があります。好きな歌謡曲に囲まれて、歌謡曲が好きなお客さんに囲まれて。。。そんな、自分がやりたかったフォーマットでお店をやっている「バー」を見つけるなんて夢にも思いませんでした。私にとって、やりたかった理想のお店が「ザ☆ベストテン」だったんですね。他人がやってることで安心してしまった。店がなくなる話を何度されても、それが現実とは思えなかった。

自分でお店をやるってことは、相当な覚悟がなければいけません。生半可ではいけない。そんな気概は私にはなかった。そして「いつか」という言葉はないんです。「今やっていない」のなら、永遠にそれはできないのです。

おりしも、若い世代に昭和歌謡曲がブームなんて記事が出たり、ザ・ベストテンのCS再放送の話があったり、山口百恵さんの楽曲600曲以上がサブスクリプションサービスでいつでも公式的に聞けるようになったり、中森明菜さんの1980年代のライブ映像がYoutubeに公式的に配信になったり。そんな追い風も感じながら、そんななかですすきのの一角、歌謡曲バーというものが一つ消えていく。
その世代を生きてきて懐かしく酒を飲む人たちと、その世代の楽曲を新鮮に見ることができる若い世代の方が一緒に飲むことのできる「歌謡曲バー」の理想がもしかするとできるかも?という状況でした。しかし、それは、夢、幻。

ネットの中や家庭で楽しめるコンテンツと、外で誰かと楽しめるコンテンツ。ここに親和性は最初からなかったのかもしれません。

「3年経って、やっと自分の理想の歌謡曲バーに近づいた」以前ママさんからお聞きしました。本当にこの世代の歌謡曲が好きな人が集まり始め、口コミやSNSでママさんがフォローされ、遠くから来てみたかったとお客さんがやってくる。そんな素敵な店が、すこしづつ形になっていた。

「形あるものは1年先か、来月かいつか終わってしまう。でも明日終わるのはいやだ」私は言っておりました。その「明日」が迫っています。最後を見納めることはしたくありません。でも、「結果」として受け入れなければならないのでしょう。

ママさんの機転で、もう少しだけ延長された「ザ☆ベストテン」この場所、この箱があるからお会いできた仲間であるお客様。そして、カウンターに立っているママのお姿を焼き付けて、でも、私の記憶はこの場所から遠ざかっていく。

カテゴリ: 歌謡曲バー



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