2020/04/13 歌謡曲が好き 歌謡曲バー

残念ですが、私の大切にしているものが次々壊れていっています



誰のせいでもなく、逆に言えば政治の責任を言おうが、自己責任を言おうが、新型コロナウイルスによって、私の楽しみにしていたもの、大切な場所や人が失われていくことに、ただ悲しくなるだけです。

一介のサラリーマンである私にできることなどほとんど無く、そして、収束の見えない中、仮に政府の支援が手厚くあったにせよ、一定の経済消失は避けられない状態であります。

そんななか最前線で働いている医療関係者の皆さん、そして検査という、感染者と向き合う非常に困難で危険な作業に従事されている検査技師の皆さんに感謝いたします。そして電気、水道、ガス、通信などインフラを支え、また、物流、流通を支えている皆さんに感謝いたします。

そんな現場の苦労を知ってか知らずか、不確かな情報を元にする、様々な「敵」を作り出して叩く方が、有名無名を問わず発生することが、とても悲しいことであります。


今、行わなければいけないのは、誰を敵とすることではなく、それぞれが、それぞれできることを真剣に考えて、行動する。そこにはあえて「行動しない」ということも当然含まれます。家から出ないことも立派な行動です。

2月の段階で仮想敵はライブハウスでした。多くの公演は中止となり、その批判の矛先となったライブハウスはいくつもこの世から居なくなった。しかし、それを批判していた彼らは次のターゲットを夜の町とした。普段から自分達も散々お世話になったであろう飲食店を仮想敵として、さもそれがなければ感染者数の拡大を抑えられるかの如く叩くわけです。

私の大切にしていたアーティストのライブは全て中止になり、ライブハウスは無くなり、飲食店も消えようとしています。次は何をターゲットにしますか?昼間の飲食店ですか?デパートですか?五月雨的な休業要請、そして、夜の町での警察の巡回。もはや、全ての個人・中小企業の事業は不要であるという宣言と受け取るしかありません。



「砂の城」とママさんは言いました。居心地の良い店を作るのは、もちろんお店のオーナー、従業員も大事ではありますが、客もそれを担っています。店は店と客が造り上げるものだと思います。それは一朝一夕でできるものではありません。また、きっとラーメン屋さんでも定食屋さんでも大きくは変わらないでしょう。酒の味、食べ物の味が素晴らしいというだけでは店には行きません。その雰囲気、オーナー、マスター、ママさんなどお店に従事する方々のその人柄が自分と合っている、そして自分達が逆に客として迎え入れられていることでなり立っていくのだろうと思うのです。

残念ですが、今後飲食店も宿泊など旅行に関するものでも経営体力のある大手資本のものしか残っては行かないでしょう。それがもしかすると一つの理想の姿なのかもしれません。しかし、個人が独創的に開業している店が無くなった町というのはあまり魅力が無いものです。

地方に行くと大手コンビニチェーンの店があるだけ、あとは個人店は全て潰れましたなんて町はあるものです。もちろんそれで誰も困りません。しかし、町の特産品すらコンビニでは買えない。町としての意味があるのか、訪問する意味があるのか?という町は決して少なくはありません。もちろんコンビニオーナーも人の子ですから、店の雰囲気は従業員によって変わりますが、当然彼らの裁量はコンビニ本部に比較して大きく削られています。店の独自のことはなかなかできません。

札幌も、地場の事業者すらおらず、本州資本のお店しかありませんという時代が来てしまうかもしれません。ジンギスカン屋?ああ、そんな食べ物もコロナまではあったんだよねぇなんてことも起きるかもしれません。


私がはじめて行きつけの店となった歌謡曲バー「ザ☆ベストテン」も5月での閉店を発表されました。なにもできることはありません。
このご時世にみんなでもう一度行きましょうとも言えません。

新型コロナウイルスは私の人生の中にある大切なものを奪っていきました。そして、それは現在進行形で続いています。そして、私自身が感染者かもしれないという行動をしなければならないことも重々承知しています。

私の大切なものの「葬式」すらできないのが、このウイルスの本当に怖いことなのだと改めて感じます。
願わくば、この騒動が落ち着くであろう、遠くない将来に、また、笑顔になれるものができればいいとは思います。しかし、失われたものは二度と戻ってこないことでもあります。それがものすごく悲しいことなのです。


あなたにとって大切なものが、失われることを考えるなら、「仮想敵」で誰かを非難してはなりません。非難の対象が消えても、きっと多くの物事は解決しません。なぜなら、「仮想敵」は敵ではないからです。
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